気まぐれ日記 2019年12月

2019年11月はここ

12月1日(日)「宴の翌日・・・の風さん」
 起床し、ふらふらで階下へ行ったら、ワイフがちび助が元気にエサを食べていると言った。それで安心して、寝室へ戻った。ワイフは、体験教室の仕事があるので、その後、出かけたが、私は爆睡の続き。
 結局、昼過ぎに起きたが、たまっていた疲労は抜けきらなかった。これが老化というものだろう。しかし、まだこれだけ無理ができるのだから、創作もきっとやれる。
 増刷になった『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』(日刊工業新聞社)の見本が届いた。少しだけ修正をお願いしてあったが、ちゃんとできていた。この本の内容には普遍性があるので、もうしばらく世の中に提供し続けたい。
 タフなワイフが帰宅した。今日の体験教室には初めての男性(ご高齢)が来ていて、少々心配だったが、絵心のある方で、じきに馴染んだとのこと。色々なバックグラウンドの人が来るので、勉強になるとワイフは言っていた。
 元気そうでありながら、しばらくウンチの出なかったちび助が、ようやく立派なウンチをしたので、安心した。毎日点滴をして、弱い腎臓をサポートしながら、一方、ガリガリに痩せて細くなった食欲を、強制的なエサやりで同じくサポートしているわけだが、やっと良い方向へ向かい出したようだ。
 片付けの続きをしたが、じきに日没になってしまい、また中断した。
 晩ご飯の時に、残っていたグリューワインを飲んだ。温度が零度のドイツのクリスマスマーケットで飲めば、酔う前に体が少し暖まってちょうど良いのだが、自宅で飲むと酔いが回る(笑)。ハネムーン中の長女夫婦は、最後の宿泊地ローテンブルクを満喫している。明日には夢の世界から帰って来る。
 酔っ払った私は、若いころのシャロン・ストーンに会いたくて、「トータル・リコール」を観た(^_^;)。もう10回くらい観たかな。

12月2日(月)「長女夫婦が夢の国から帰国・・・の風さん」
 昨夜から今朝にかけて雨が降った。今も降っている。爆睡中の私の代わりに、ワイフが片付けが途中のバーベキューグッズを屋内に取り込んでくれた。
 しかし、車庫の上だけは、ワイフも気が付かず、私はパジャマのまま雨の中へ出て、とりあえずしまったが、それらは雨が上がったら干さなければならない。天気が崩れるのは今夜からだと思っていた。
 朝食後、岩手県和算研究会の会長から電話があった。2年後の秋田大会の相談で、私の方は、色々とやっているが吉報を届けられないので、しばらくご無沙汰状態だった。電話で話した内容を、今度はメールにきちんと書いて送った。
 今春立てた計画で、クリスマスシーズンにディズニーシーに行こうとしていた。ちび助が予想外に元気になっていたら、行けたかもしれないが、無理なことはだいぶ前から分かっていた。午前中に、ホテルなどの予約をキャンセルした。
 今月は、大阪でのセミナー講師の仕事も計画されていた。これは受講申し込みがなければ開催とはならない。事務局に問い合わせた。開催確定だけの申し込み数にはまだいたっていなかった。
 午後になって、天気は次第に回復してきた。
 羽田に着いた長女夫婦が、疲労もあったろう、帰りの便で酔ってしまい大変なので、セントレアに着いたら自宅まで送ってほしいという連絡があった。
 ちび助にエサをやり、点滴をしてから、ワイフとセントレアへ向かった。雨は上がったが、風が強い。
 セントレアのイベント広場でクリスマスマーケットを見てから、到着ロビーへ向かった。
 長女夫婦が夢の国から帰ってきた。元気そうだったので安心した。2つのスーツケースが超重かった。
 名古屋までアクアで送り、ファミレスで食事して別れた。ダンナは明日から仕事。長女はきっと昼過ぎまで爆睡だろう。
 お土産をもらって、私たちも帰宅した。ちび助は今日もまあまあの状態が続いた。

12月3日(火)「ちび助が絶好調・・・の風さん」
 朝からちび助が絶好調らしい。私も疲労がかなり取れたので今日から普段の生活に戻れそう。
 雨は上がったが風が強い。車庫の上のストッカーの中身を出して、天日乾燥を開始した。思った以上に濡れていた。これはかなり時間がかかりそう。
 ルーチンを再開した。ただし、身辺整理はまだだ。先ずは、30日の宴の片付けから。今日は屋内を中心におこなった。
 昼食後、滞っていた執筆に注力することにしたが、とりあえず連載原稿を先に仕上げることにする。これは資料はそろっているが、ストーリーが決まらないまま今日まで来てしまったものだ。小説の神様はまだ降りてこない。資料を再チェックしたり、先輩作家の短編を読んでみたり、と色々な努力を続けながら閃きを待つというとんでも作業である。
 2年後の全国和算研究大会の準備の方は、とてもありがたいことに、秋田の同級生が早速動き出してくれていた。私の予想に反して、岩手県和算研究会の会長の指摘通り、会場の確保が最優先なのだそうだ。やはり地の利というか地元の強みを発揮してくれている。
 私がバタバタしている間、ちび助が何度も病室から出て、自分でエサを食べている。もちろんガリガリに痩せていて、高い場所には上れないくらい弱っているが、この食欲は、黄疸が出る直前と似ている。長く続けば、体重が戻って来るのだ。現在は、食欲があるからと言って、それで十分ではないので、こちらからもサポートをする。おやつのちゅーるも気に入っていて、今日はスティック袋一つを完食してくれた。
 夜、主治医に提案した通り、中4日、毎日の自宅点滴を完了した。緊急事態から定常状態になれそうな感じがする。明日の病院での体重測定や診察結果が楽しみだ。
 連載小説のストーリーは今一歩だな。

12月4日(水)「SFに没入・・・の風さん」
 昨日と同じような一日が始まった。ちび助の好調は維持されている。そして、外は相変わらず風が強い。なので、車庫の屋上で、濡れたテーブル類を乾燥させることにした。
 ルーチンに加えて、いくつか重要メールを送信し、午前中に、灯油の購入にも行っておいた。気温の高い日に、屋外タンクに入れることにする。
 インスタントラーメンで昼食にした後は、昨日に続いて連載小説の執筆。だいたいストーリーが決まったが、ちゃんと落ちにたどり着けるかは現時点不明(笑)。
 好調のちび助のおやつ(ちゅーる)を買いに行ったワイフが帰宅し、ホットタイム後、病院へ行った。中4日だったが、全然問題ないと思っていたので、安心して診察室へ入った。ところが、体重はまったく増えていなかった。強制的に食べさせている時の方が摂取カロリーが多いからだろう。自分で食べているが、それだけでは足りないことが明らかになったので、強制の方もある程度やらねばならない。次回も中4日で決まった。
 通院は往復2時間ちょっとかかる。晩ご飯も遅くなるが、その前に、執筆の続き。
 まるでイタリアの夕食のように遅くなった。今日のメインはパンなので、ワイフがバーベキューで残ったワインを飲もうと言う。イタリアの赤ワインだ。反対はできない(笑)。案の定、グラス1杯で酔ってしまった。既に10時近い。リビングでダウン。
 目が覚めたら11時半だ。まだ頭がくらくらする。こういう時は映画だ(笑)。Amazonprimeで「デッド・シティ2055」を選んだ。全く予備知識はなかった。近未来のSFだった。すんなりストーリーに入れたのは、まだ自分に若さがある証拠に違いない。
 最後のカットでは、殺されたはずのブルース・ウィルスが目を開けた。洒落ている。
 風呂に入って、ちび助にミルクを与え、あらためて就寝。

12月5日(木)「ちび助が好調のうちに・・・の風さん」
 ちび助の好調が続いているので、自分のことに専念できる。ありがたいことだ。
 風呂掃除をした。数日遅れだが、月初なので、分解しての掃除。天井はパス。
 今日も天気は好いが、風が強い。こうなると寒い。しかし、東北地方で暮らした時の寒さとはまるで違う。ルーチンをこなしている時に、秋田の友人から電話があった。全国和算研究大会の秋田大会のために協力してくれている。とりあえず会場確保ということだが、秋田市内になりそうだ。次の懸案は算額見学だろう。遠いけれども角館かなあ。そして現地解散。
 バーベキューの時に、元同僚から、健康管理のためのスマートウォッチをもらった。装着しても邪魔にならない。腰の万歩計と結果を比較すると、だいぶ違う。どうやらスマートウォッチは午前零時スタート・エンドらしい。私の生活リズムと違う(笑)。試しに10分おきの血圧測定というのをセットしてみた。今日やっとiPhoneでデータを確認した。さすがに10分おきなので、変動は小さいように見える(笑)。一日の最高と最低も分かる。その時刻で当時を想像してみると、お! 運転中じゃないか。何でもない時に測定してみると、自宅の血圧計よりも比較的低い値が出る。この結果をかかりつけの医師に見せたら「血圧下がりましたね」と言われそうだが、スマートウォッチの取説では「医療機器として使ってはいけない」となっている(笑)。
 昼食はおにぎり。午後から連載小説の執筆の続き。
 2週間後に大阪でのセミナー講師の仕事が予定されているが、受講申し込みのペースが悪いので、中止になる可能性が高い。ちび助の病状がどうなっているか不安もあるし、もし中止になっても空いた時間は執筆に回せる。
 ちび助は今日も好調だった。朝晩2回のエサやりにしていて、就寝前はミルク(カロリーエース)にした。

12月6日(金)「落ち着いた日・・・の風さん」
 朝食後、レンジフードの掃除をした。起床というか目が覚めてから、いきなり腹筋運動をし(笑)、その後、運動のルーチンが決まっている。掃除のような作業も運動の一環でやっている。その後、血圧測定をすると、まあまあの結果が出るので、運動は重要だ。
 昼食は久しぶりに卵かけご飯。
 すんなり執筆の続きに入れた。この勢いで連載小説を早く終えてしまおう(と言いながら、実は遅れているのだが)。
 晩ご飯前に、郵便物をいくつか開封していなかったことに気付いた。一週間前くらいに届いていたものだ。その中に、重要なものがあった。日本年金機構からで、記入して送付しろ、とある。期限はとっくに過ぎているじゃないか! たとえ届いてすぐ書いて送っても全く間に合わないタイミングだ。
 とは言え、すぐに書いて、近所のポストまで歩いて投函してきた。もう風はほとんど止んでいた。猫が小道を横切った。また売家が一軒増えた。
 夕食後、ちび助の点滴をしてから、執筆に戻った。

12月7日(土)「平和な一日・・・の風さん」
 気温は低いがだいぶ風がおさまっている。
 ルーチンの中に、朝一番と就寝前のちび助へのエサやりと、晩ご飯前後あたりの点滴が追加されている。ちび助の状態が安定していて、少しずつだが体重も増えている気がする。ここで新たな病気を発症しなければ、どこまで戻れるか、とても楽しみである。お蔭で、私も自分のことができる。
 風がおさまっているので、屋外タンクに灯油を給油した。その勢いで、あとでバーベキュー用の汚れたグリルを洗ってみた。これは浸け置きしておいたもので、効果があるか確認したのだ。効果が確認できたので、明日へ向けて、また浸け置きしておいた。
 ルーチンと少しの雑務を終えて、執筆を再開した。
 昼食は卵かけご飯。その後も執筆。のろいが、ほとんど中断することなく続けている。何とか今日中に完成させられないだろうか。
 知人の新刊がエージェントから届けられた。出版までずいぶんと時間のかかった力作である。これは読まねば……。
 名古屋の老舗のお菓子やさんから届け物があった。エッセイ執筆に対するお礼だが、律儀な感じで恐縮してしまう。私からもお返しをしよう。
 夕方、フラワーアレンジメントを友だちと楽しんできたワイフが帰宅した。ワイフがちび助におやつのちゅーるを与え、早めのホットタイムにした。平和な時間が流れている。
 晩ご飯まで執筆が続いた。あと少しというところまで来たが、頑張り過ぎて疲れた(笑)。
 今夜は早めに就寝することにした。ベッドで読了。今年やっと26冊目だ。

12月8日(日)「怪しい電話・・・の風さん」
 1週間前の再現のような快晴の朝だ。雲一つない青空。しかし、風が少しある。とりあえず車庫の上のストッカーの中身を日当たりに干した。
 午前中のルーチンの終わりに、家の周囲に除草剤を散布した。今年最後だな。その後、またグリルの洗浄を試みた。ひと晩浸け置きしたが、こびりついた(焦げ付いた)物体は、残念ながらほとんどふやけていなかった。仕方なく、木片でこすってみたら何とかとれる。しかし、力が必要だ。もっと楽な方法はないものか。そこでまた作業を中断した。屋外作業も寒くなくできた。
 昼食は納豆ご飯。その後、執筆を再開。今日こそ連載原稿(第一稿)を完成させなければ。
 ちび助は相変わらず元気だ。本当に助かる。執筆はだいたい順調に進んでいる。落ちはまだ決まらない。
 日が暮れて、実家へ帰っていたワイフが帰宅した。かつて母のところへ月一で通っていた私とよく似ている。幸い、近いのと(私の場合、福島県だった)、義父の症状がまだ軽いので、比較的楽ではある。様子を聞いてすぐホットタイムにした。
 今夜、長女がちび助の様子を見るなどのために帰省する。その前に、長女が苦手な点滴をちび助に終えた。これで中4日分を完了した。
 8時ころ駅まで長女を迎えに行った。ちび助の様子を見ればいくらか安心するだろう。
 第一稿はあと少しというところで晩御飯コールがあった(我が家は広いので、インターホンが数か所にある)。
 晩ご飯後、変な電話がかかってきた。午後10時に電話なんて、身内以外考えられない。しかし、それは怪しい電話だった。ワイフが出て、名乗った名前(苗字)に心当たりがあったので、私に取り次いだ。しかし、相手は、予想した友人ではなかった。怪しい電話だと直感したので、途中で切った。知人の振りをして、たくみに自分の話題に誘い込み、何かを勧誘する、応じなければ、自宅まで押しかけるぞ(相手は電話番号を知っているわけだから)と脅してくるパターンだ。オレオレ詐欺の一種だ。家族に注意しておいたが、来年は電話をリニューアルするので、迷惑電話の対策機能(通話の録音の警告とか)のあるタイプにしよう。
 それから、また洋画を鑑賞した。今夜もSFで「ルーシー」。人間が自分の脳を100%使えるようになるとどうなるか、というテーマの作品だ。私も少しでも多くの脳みそを使わなければ……。作品のヒントは得られなかったが、頭脳の柔軟体操にはなったろう。
 そこから執念で書斎に入り、第一稿を書き上げた。落ちもまずまずの形で決まった。関係者へメール送付した。
 続いて、次の週のセミナーのためのテキスト原稿を用意し、事務局へ送付した。
 午前1時過ぎにすべての仕事が終わったので、達成感があった。ちび助に薬入りのミルクを飲ませ、入浴した。
 そこで閉店にならないのが、今日の難しいところだ。長女は帰省中の短い時間で年賀状を作成するつもりである。ワイフのパソコンで挑戦していたのだが、年賀状ソフトがうまく使えないでいた。そこで、私の登場となったわけだが、結局、午前3時過ぎまで挑戦して分かったことは、私が持っている年賀状ソフトは、ワイフのパソコンのOSWindows10で動作しないということだ。執筆マシンを無料だからと言って、Windows10にしなかったのはある意味正解だった。長女には、明日、私の執筆マシンで年賀状を作ってもらおう。
 長い一日だったが、充実していた。

12月9日(月)「暖かな一日・・・の風さん」
 寝不足だが、ちび助にエサを与えるため寝坊はできない。
 天気予報通りに気温が高い。昨日より風もおだやかというかほとんど吹いていない。
 ルーチンを終えたころ、やっと長女が起きて来て、私の執筆マシンで年賀状の作成ができるようにしてやった。その後、長女は恐ろしい速度で年賀状作成に取り組み、デザインがすぐに完成した。豊富なテンプレートの中からでも選択できた決断力はすごい。
 印刷して長女は電車で帰って行った。今夜はソナポケの女性限定ライブに行くのだと言う。
 昼食後(と言っても、午後2時を過ぎている)、屋外作業をしなければ罰が当たると思い、出動した。全く寒さを感じない。何度も挑戦しているグリルの洗浄に取り組んだ。乾燥させておいたので、木でこするとポロポロ取れる汚れもあった。最後に洗剤を使って水洗いし、ここまでにしようと思った。裏の物置の中を整理した。種類別に分け、スペースを有効に使えるように棚を入れ替えた。グリルも新聞紙でくるんでしまった。残ったのはバーベキューコンロ本体と備品だけとなった。それはまた後日である。
 リビングで休んでいる間に日が暮れた。
 ホットタイムをしてから、ちび助を病院へ連れて行った。安定していて元気なので、余裕で診察を受けたが、体重は全く増えていない。これで3回連続同じ数値である。満足できるものではない(限界を下回っているから)。また4回分の自宅点滴セットをもらって帰宅したが、どうやってちび助の体重を増やすか、悩ましい。
 遅い晩ご飯後、疲労感があったので、また映画を観た。昨年のミッション・インポッシブル「フォールアウト」だ。トム・クルーズとおなじみのメンバーで楽しい。それに加えて、好きなレベッカ・ファーガソンが出てきたので気分はさらにハイになった。レベッカ・ファーガソンはイギリスの情報機関MI6のメンバーだが、私が中学時代(もう50年以上前)007にはまっていた時の機関名は、たしかMI5だったと思う。どうでもいいことだが(笑)。
 最後は、昨日届いた中川なをみさんの初めてのノンフィクション『よみがえった奇跡の紅型(びんがた)』(あすなろ書房)を少し読んで寝た。
 半年前には、今日はワイフとディズニーシーへ行く計画だったが、ちび助の病気でなくなった。健康が一番だ。

12月10日(火)「明治維新に異議・・・の風さん」
 今日も暖かい一日になりそうだ。少しでも屋外作業を片付けておこう。
 ルーチン後、早速屋外へ。ネットで学んだ切り株処理の一手法を試すことにする。門の前の花壇ゾーンに不要な樹木があった(現役時代に放っておいた間に、種子のまじった鳥の糞が落ち、芽が出て……やがてジャックと豆の木のようになったもの)。シルバーさんに伐採してもらっても、切り株が残っている。これを掘り起こすのはほぼ困難。シルバーさんもやらない。ネットで調べたら三つの手法があった。その一つ、ドリルで穴を開け、除草剤を注入するというもの。除草剤は根まで到達して腐らす。掘り起こしが可能になるまで数か月か一年近くかかると思われる。気の長い風さんはそれを選択した。
 ついでに除草剤を裏の土地などに散布した。
 昼食後、かかりつけの病院へ向かった。途中、ドラッグストアで買い物(割引チケットをスマホに表示させてから入店したのに、レジで提示を忘れた←アホ)、スーパーと百均とホームセンターでも買い物、JAのATMで現金の引き出しをしてから病院へ。こまごました用事を一時間ほどでこなせたから、まあまあか。
 かかりつけの病院は、2か月に1回通院しているが、今回は、文芸美術国保の健康診断をやってみた。混雑している中での健康診断で、試しにやったわけだが、来年以降はここではやらない。やはり健康診断は健診センターのある病院がよい。ま、とにかく今年の健診は終了。
 すっかり日が暮れてから帰宅。それからは、ルーチンのような行事をこなし、今夜は早めに就寝することにした。
 就寝前に『よみがえった紅型』を第一章まで読んだが、東軍側の私としては、明治維新以降の政府の犯罪に(今回沖縄への仕打ちを再確認し)あらためて腹が立った。もし明治維新が徳川幕府中心の政府で始まっていたら、昭和まで続いた戦争は起こらなかったと思う。

12月11日(水)「セミナーの開催が決定・・・の風さん」
 今日は昨日よりさらに気温が上がる予報だ。予定通り屋外の仕事をしてしまおう。
 やっとバーベキューコンロと備品を物置にしまった。続いて、キャメロンで出発。灯油を購入し、銀行のATMで現金の出し入れをして帰宅。灯油を屋外タンクに補給し、家計簿がらみの雑用をしているときに電話があった。
 日刊工業新聞社からで、メールが届いていないようだから電話したとのことだが、来週のセミナーは開催が決まったという。私にとってはありがたい話だが、もう少し集客したい。増刷になった『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』がテキストの品質管理セミナーである。タイトルは「不良を作らない・流さない工程管理」で、12月18日(水)10時から、日刊工業新聞社大阪支社セミナー会場で開催される。受講すると拙著がもらえるのも特典だ。
 とにかく、急遽、移動のスケジュールを作成し、往復の新幹線の予約をすることになった(夕方おこなった)。
 注文した本が届いたので、これも急遽、郵送の手配をすることになった。ある方へお礼をしたかったのだが、拙著の保存がなく、1冊だけ注文したのだ。礼状を書き、文庫なのでスマートレターに入れて、JPの分局まで、またキャメロンで走った。厚さをチェックしてもらうとOKで、さらに増税後だが、料金に変更はないとのことで、窓口で投函を終えた。気になっていたことが終了して気分が楽になった。
 日刊工業新聞社からのメールだが、迷惑メールボックスに入っていた。普段そこをチェックする習慣がなかったので、今回よく見ると、迷惑メールでないものがいくつか入っていた。これから毎日チェックしなければ、仕事が停滞する恐れがある。
 バタバタと動き回ったので、久しぶりに1時間弱の休養をとる必要があった。しかし、日中の気温は高く、屋内は暖房は不要だし、ちび助の状態も安定していた。

12月12日(木)「企業向け講演も決定・・・の風さん」
 少し風があるが、今日も晴れている。朝食後、裏の土地に出動し、運動を兼ねて小石を拾った。洒落ではないが、来年への布石である。
 ルーチンに加えて、来週のセミナーの集客も意識して、『トヨタ流品質管理に学ぶ! はじめての変化点管理』の増刷とセミナー開催をFBとツイッター(2つのアカウント)で書き込んだ。実に久しぶりのことだ。現代は、こういったSNSでのPRが必須なことは分かっているが、行動がなかなか伴わない。バージョンがどんどん更新されることに不満があるからだ。そこへ行くとHPは、プロバイダーの変更はあったが、固定しているので、ルーチンの中でさっと書き込める。
 セミナー開催が決まった翌日の今日は、来年2月の講演も確定した。変化点管理を中心にした単独企業向け講演である。事務局から決定メールが届いた。具体的なスケジュールの提示もあった。場所は千葉県で、始発でなくてもたどり着ける。ちび助の心配がなければ、キャメロンで行き、知人と会ったりできるのだが、まあ、そのへんは、もう少し先に決めよう。
 そのちび助のお気に入りのおやつ「ちゅーる」が地元で売り切れだったので、ネット発注していたものが届いた。
 今年取材に訪れた福島県の方からりんご「ふじ」が届いた。台風や豪雨で被害を受けた中で、わざわざ送ってくださったので、恐縮してしまう。
 昼食に納豆ご飯をかっ込んだところで疲れてしまい、しばし昼寝。
 やっと心配事がかなり減ったので、長編小説の執筆や児童書の準備に取り掛かった。

12月13日(金)「高効率な半日・・・の風さん」
 午前中に集中して雑務をこなし、午後から執筆と準備に専念した。
 久しぶりにワイフを駅まで送った。
 産直の店へ行き、いつものようにみかんを3人分購入し、宅配で送る手配をした。この間は、宛名書きをワイフに手伝ってもらって助かったが、今日は自分で書いた。3枚も書くと手や指が痛くなる。何しろ不自由な右手を使ったので、震えないように猛烈な力を使うからだ。帰宅してすぐ、送った3人のうちの1軒へ電話したら奥様が出た。話が弾んだ。あと2人はメールで伝える。
 年金のことで質問があったので、日本年金機構に電話した。疑問が晴れた。
 ルーチンをやりながら hairdye をするという、いつものパターンを実行した。冬はなるべく気温の高い日にやらないといけないが、今日はまあ適合する。洗い流すため風呂場へ行った。今日は、ついでに風呂洗いも実施した。
 ここまで、非常に効率の良い行動だった。宅配も2件受け取ったし。
 しかし、午後からの作家活動の前に、ちょっと休養が必要だった(笑)。
 雑務(ワイフの迎えやちび助の点滴などは除く)をしない半日は、久しぶりだった。

12月14日(土)「結跏趺坐・・・の風さん」
 軽い運動を兼ねて、朝食後、近くのポストまで歩いて投函してきた。天気は好く、風がほとんどない。
 ワイフは教室があるので、私だけでちび助を病院へ連れて行った。体重が微増。強制的にエサを食べさせるとどんどん増える体重も、本人の食欲を期待してセーブしていると、なかなか増えない。もう少し関与を強めよう。
 帰宅してすぐ、以前チェックしたちび助のエサの再調査と分析。現在、4種類のエサを組み合わせて与えている。それらの重量当たりキロカロリー(生理的熱量)のカタログ値を基本にし、さらにキャットフードについては100粒の重量を測定して粒当たりキロカロリーを換算した。最後は、1回に与えているのが、それぞれ何キロカロリーで、購入価格から何円のコストになっているかまで計算した。そうすることで、与えているキロカロリーとコストのパフォーマンスが明確になった。やはり2種類のキャットフードが優れていた。
 自分で購入した物の余りもあるが、いただき物もあって、みかんが増えた。昨年は、油断していたらどんどん腐ったりカビたりしてきたので、今日から、食事のたびに1個ずつデザートで食べることにした。それにしても当地のみかんは美味い。甘い上に、甘皮が柔らかいので、まるごと食べても甘さが減じることはない。修験道ではないが、自然の恵みはありがたい。
 ルーチンと雑務をさっと終えて、今日も作家活動に入った。
 連載小説の仕上げというか、挿入する図の作成をおこなった。これは著者でないとできない。主人公が歩いた実際のルート(江戸時代に)を、現代地図の上で表現する。さらに、物語の中で出て来る算額の一例を、見やすく再現する。
 じっとしていると身体にはよくない。ネットで姿勢の良くなるヨガのポーズを見たので、試しにやってみた。容易にできると頭で思ったものが、できなくて、愕然とした。結跏趺坐(けっかふざ)のままで仰向けに寝て、身体を伸ばすのである。結跏趺坐は子どもの頃から難なくできたので、それは問題なし。そのまま仰向けになろうとすると、腰から下が伸ばせないのだ。
 問題なければ、起床時に腹筋を90回、朝食後に柔軟体操、就寝前に腕立て伏せを30回やっている。明日から、柔軟体操の中に、この結跏趺坐で仰向けを加えよう。

12月15日(日)「連載が一段落・・・の風さん」
 今日は近畿和算ゼミのある日だ。年末なので、最後に茶話会がある。昨年まで3年連続出席し、茶話会までのお楽しみ講演会をやらせてもらった。今年は諸般の事情(ちび助の病気、大きな講演ネタ不足、資金不足、執筆遅れ)のため、講演依頼を辞退させていただいた。申し訳ない。来年こそは、と思っている。
 昨日に続いて天気は好いが、風が少しある。外出予定がないので、仕事が一段落したら、風のおさまり具合を見て、運動のため散歩(ウォーキング)に行こうと思った。
 午前中にルーチンと片付けを終え、午後から作家活動に入った。
 連載小説には、私が作成する2つの図を毎回提供している。昨日は移動ルートを作成した。今日は、算額の作成である。どちらも簡単なように思われるかもしれないが、実際は大変だ。移動ルートは、江戸時代のことなので、現代地図とは違うことが多いし、現れていないこともある。たとえば山越えのルートだと、昔の道は閉鎖されていて地図にはない。目いっぱい拡大したとき、峠の前後の沢筋や尾根筋に痕跡が見られる。そこまで詳細なルートは作らないが、確かに通った確認できるところまではやる。算額も似ていて、そもそも現存していない。記録から復元するわけだが、2次資料、3次資料では間違っていることもある。なるべく原資料に近いものを探す。原資料にしても、図形は適当なので、自分でなるべく正確に再現する。元々の算額の図形が間違っていたからと言って、そこまで復元するのは小説家のすることではないだろう。
 夕方までに、すべての作業が終了し、第二稿と一緒に、他の参考資料も含めて、関係者へ送付した。これで、今回の仕事はほぼ終了である。
 その後は、長編の改訂と児童書の準備になった。効率が上がる予感がする。

12月16日(月)「墓参・・・の風さん」
 今日いっぱいは好天が続きそう。
 ワイフが人間ドックに行くので、私も早起きし、とにかく朝一番にちび助にエサを与え……と思ったら、今朝早く、水分だけ吐いたと言うではないか! 吐くのは腎臓病の悪化の兆候なので、非常に心配だ。今年3回目くらいになる。その後は、自分でエサを食べていたと言うから、しばらく様子を見た。ワイフが出発する前まで特に変な様子はなかったので、エサを与えてみた(二人がかりなのである)。
 ルーチンの後、長年利用しているGSへ行った。灯油の価格を知りたかったのだが、最近利用しているGSよりも2缶で252円も安かった(ので、購入した)。これから灯油は、遠くてもここで買わなければ(主夫感覚)。
 午前中、ちび助は寝てばかり。起きて来たらおやつの「ちゅ〜る」を上げる予定だったが、できなかった。
 午後1時近くなり、寝ているちび助を誘い出して「ちゅ〜る」を上げているころ、ワイフが帰宅した。人間ドックは滞りなく終了したらしい。
 昨日から本格化した長編の改訂が、順調に進んでいるので、気分が良い。
 柔軟体操に結跏趺坐を追加したが、念のため、昔得意だった女の子座り(膝から下を腿の外側に開いてぺたんと座ること)をやろうとしたら……できなかった(笑)。こいつもこれから追加だ。
 夕方、日没前に、ワイフと墓参に行った。これは毎月のルーチンで、父母の命日前後におこなう。お墓の掃除をし、供花をし、焼香して終了だ。今日も、墓地はまったく風がなく、寒くももちろん暑くもない。墓参はこういった日が多い。西の方角は沈む夕日で暖かく輝いている。

12月17日(火)「松岡さんの作詞大賞・・・の風さん」
 昨夜、嬉しいメールがあった。新鷹会の仲間である松岡弘一さんが、第52回日本作詞大賞を受賞したのである。
 受賞したのは氷川きよしが歌う「最上の船頭」である。YouTubeで受賞風景と氷川きよしが歌う姿を確認し、感動した。
 彼とはもう何年も会っていないが、小説家としての才能はもとより、努力する姿勢にも敬意を抱いていた。今からおよそ20年前、作詞家の松井由利夫さんが長谷川伸賞を受賞したとき、松岡さんが「松井由利夫さんの弟子になった」と言ったときは冗談かと思っていた。あれから20年、しっかり研鑽を積んでいたに違いない。今回の受賞曲の歌詞は、聞いていて心が震えるものだった。
 明日のセミナーの準備をした。直前までほとんど何もしなかったのは、かなりルーチンに近くなっているからだ。それでも、目をつぶって講義をやれるわけではない。スライドを使ったおさらいと、持参する物の準備と点検が必要だ。
 この作業は順調に進んだが、最終段階に近くなって、少し困ったことが起きた。講義や講演では、MacBookAirを使う。アプリは、オフィスのパワーポイントだ。ところが、前回は問題なかったのに、今回、MacのOSがCatalinaに変更になったため、オフィスが立ち上がらなくなってしまった。それで、とりあえず、読み取りで開ける状態にだけ、オフィスをバージョンアップしておいた。これで、プロジェクターでちゃんと映し出せるかは、明日の最優先確認事項となる。
 ワイフが帰宅し、ちび助に点滴をし、エサを与え、早めの夕食を摂り、駅まで送ってもらった。既にスーツに着替えている。
 新幹線で大阪まで行き、セミナー会場近くのホテルにチェックインしたのは午後11時ちょっと前だった。
 ホテルでも、持参したセミナー関連資料に目を通し、明日の講義の感覚を養った。

12月18日(水)「セミナーと豚まん・・・の風さん」
 久しぶりにホテルでまともな朝食を摂った。終日セミナーではけっこう体力を使うので、いい加減な朝食では、もたない。
 予定通りチェックアウトして、外へ出ると、ほんの少し雨が降っていた。濡れても平気なくらいだが、衣服を濡らしたくなかったので、傘をさした。
 会場には早々と着き、すぐにMacBookAirをつないで、ちゃんとプロジェクターで講義資料が映るか確認した。大丈夫だった。何度も使っている資料なので、MacBookAirでの修正は不要なので、読み取りだけのアプリでも使えたが、初めての資料となると、こうはいかない。今年はこれで終わりだが、来年以降のことは、またあらためて考える必要がある。
 セミナーで必ずおこなう、受講生へのインタビューをした。今回のセミナーに対する期待というか知りたいこと、悩んでいることを尋ねておくのである。昔の勤務先の社員への講演ではないので、私の講義内容がそのまましっくりと受講生に適合することはまずない。毎回、悩む。私の経験や知識をこえた話が出て来るからだ。特に中小企業から送り込まれた受講生に多い。歴史が浅く、しくみが整っていない会社では、人的資源に依存することが多いのだ。そして、その人的資源はきわめて少ない人数なのである。今回もそうだった。
 講義は私の知識や経験のバックグラウンドの説明から始める。これが意外に手間取って、時間を食う。今回もそうだった。次回からはスライド枚数を減らそうとようやく決断した。途中で受講生とコミュニケーションをとるのも特徴だが、講義内容を十分に理解できていないことが分かり、反省する場面がある。この対策は本当に難しい。欲張って教えるのがいけないのかもしれない。こういった悩みや反省をともないながら講義を進めていくのだが、今回は、最後の受講生同士のコミュニケーションの時間があまりとれなかった。やはり前半で時間を使い過ぎた。
 帰りは、いつものように、新大阪駅で豚まんを購入……と思っていたら、目当ての店舗が改装中で、他を探す必要があった。なかなか見つからず、ずい分と歩き回った。とにかく見つけて購入したが、足が痛くなった。
 帰宅し、豚まんを待ちわびていたワイフと夕食にした。セミナーの出来は完璧ではないが、豚まんを買って帰り、それで夕食になったのは大成功だった(笑)。

12月19日(木)「外回り・・・の風さん」
 今日はワイフのトール教室のクリスマス会が自宅でおこなわれるので、私は外回りの仕事をすることにした。
 午前中に、ちび助を病院へ連れて行った。調子の良いうちにどんどん太らせたいと私の気持ちははやっているが、焦っても結果が良くないことはこれまでの経過から明らかである。ちび助の無理のない回復を、激しくなくサポートするように心がけている。その結果だろう。体重は微増だった(笑)。しかし、どん底状態から少しずつではあるが、戻ってきていることは主治医も認めてくれている。
 帰宅すると、もう生徒の一部が到着していて、クリスマス会が始まっていた。
 朝一番にも準備を手伝ったが、ここでもやり残したことをして、床屋へ出発。片道1時間以上かかる遠い場所である。
 電話予約できた時刻がやや遅かったので、床屋の近くのスーパーの駐車場にキャメロンをとめ、ミスドに入った。もちろん大好きなので、ランチを兼ねるつもりだが、たまったポイントで支払いができるのも、貧乏人にはありがたい。1時間半、読書もした。大阪行きのときも読んでいて、とても面白いと感じている。新鷹会の後輩、武重謙さんが出した『山のクジラを獲りたくて』(山と渓谷社)である。山に入って一人で猟をする話で、ノンフィクション、技術者らしいち密な描写が緊迫感を生み出している。
 散髪を終えて帰宅すると、ちょうど日没時刻だった。裏の駐車場には9台がとまっている。ワイフのアクアは僕が使っているカーポートに、超絶技巧の縦列駐車でとめてあり、車庫には大きなクルマが2台とまっていて、キャメロンがもぐりこむスキマはない(笑)。仕方なく門の前にとめて、私はすぐキャンドルに点灯して回った。
 屋内はピアノの自動演奏が流れていて、生徒さんたちでぎっしり。不思議とちび助が出てきていて、エサを食べていた。
 晩ご飯は、クリスマス会の残り物で、片付けもあってすっかり疲れてしまったので、リビングで寝転んで映画を観た。ジュラシックワールドである。手に汗握るといった感じで、観ているだけで疲れる。それだけ面白いとも言える。しかし、情緒的な感動には欠ける。やはり日本の芸術には及ばないな。

12月20日(金)「年内の仕事の絞り込み・・・の風さん」
 7時起床。私にとっては早起きでも、世間の人から見れば、ちょっと遅い、だろうな。
 そして、健康第一に考えるなら(今の私の場合)、ウォーキングに行ってから、ヘルシーな食事、だろうな。それを目標に、精神を落ち着かせなければ……。
 ちび助にサプリ入りの特製キャットフードをこしらえて食べさせた。たいてい、ここから一日のルーチンが始まる。
 朝食後は、昨日のクリスマス会の方附けの手伝いをし、ワイフが出かけたあと、風呂洗い。今日は、夕方から防カビ燻蒸もやる予定。
 その後、私もキャメロンで出かけた。主夫の仕事である(笑)。町のアンケートの回答をJPで投函し、UFJのATMでキャッシュの出し入れ。それから先日価格が安いことが分かった、かつての行きつけのGSへ行き、その安価な灯油の購入と、キャメロンの満タン給油。最後は、JAのATMでキャッシュの引き出し。偉そうにキャッシュなどと書いたが、年金でした。ごめんなさい。
 帰宅し、午前中の後始末がたくさん。昼食は、昨夜に続いて、昨日のクリスマス会の残りをいただいた。
 午後のコーヒータイムで、早くもパワー切れ。リビングでぶっ倒れて、元気なちび助の行動を見守った。年内の大きな雑務は、年賀状の作成だけだな、とぼんやり思う。
 連載原稿はほとんど完成して、ゲラでの校正が残っているだけだが、挿絵を描いてもらっているので、その相談が続いている。それも、今日のメールのやりとりで、ほぼ終了した。年末までに挿絵を含めたゲラ校正が終了するだろう。
 こうなると、長編の改訂と児童書の第一稿が当面の最重要課題となる。分量は非常に多いが、長編の改訂の方を先に仕上げたい。

12月21日(土)「来年こそ?・・・の風さん」
 今年も残りあと10日とは思えない。曜日の感覚を筆頭に、節目を意識しないダラダラ生活をしてきたせいかもしれない。サラリーマン現役時代は、会社の仕事をしまくっていて、やっと残っている時間も、先ず家庭生活を優先し、最後の最後の時間を作家業にあてていたから、「私は一年365日、働いています」と豪語していられた。それは、さかのぼれば、受験時代からそうで、年末年始もなかった。大学院生だったころも、夏休みとか冬休みはなく、まるで社会人のように研究生活を送っていたものだ。
 このまま人生を突っ走って行っていいとは思われない。来年こそ、節目のある人生を生きてみなければ……。尊敬すべきコンサルの人で、毎年確定申告の時期である3月は、1か月間仕事を休むと言っていた。こういったどこかで長期休暇をとるのも手だし、サラリーマンのように、GWとかお盆休みとか年末年始といった3回の大型連休を計画するのも手かもしれない。あるいは、やっとシャバに戻れたのだから、公式カレンダー通りに休む(つまり日曜祭日を休む)のもあるか。
 そもそも1日をもっとメリハリのある生活にするべきかもしれない。つまり、夜は仕事しない、といったやり方。
 追い込みが必要なアーチストには、どれも困難な選択肢だ……(笑)。
 今日は、あまり歩きそうもなかったので、朝食後、散歩がてら葉書を投函して来た。天気に左右されるが、散歩やウォーキングはなるべくやらねばならない。現在、スマートウォッチと万歩計とスマホの3つで、毎日の歩数がチェックされている。歩くことに注目するのは、来年以降もしっかり継続しよう。
 ルーチンとわずかな雑務以外は、長編の改訂に専念した。時間をかければ、やはり進捗する。雑務が減っている今は稼ぎ時だ。

12月22日(日)「なぜやめる年賀状・・・の風さん」
 意図的に朝食前に散歩がてら投函に行った。最近越して来たご近所さんとバッタリ。有線放送で防災訓練の召集があったと言うが、私は知らなかった。地域の活動に参加して、なじもうとしているのはとても良いことだ。しかし、何の有線放送があったのだろう。音がしても、早口だったり、反射があったりで聞き取れないので、私はほとんど気にかけていない。
 ルーチンも終えた昼食後、疲労感がどっと出て、書斎でうたた寝。毎朝、ちび助にエサをやるため、寝坊できない。就寝が遅い傾向があるので、寝不足が疲労感の原因のような気がする。今日は日中やや気温が低かったせいか、ちび助の食欲は低調だった。
 夕方から予報通りに雨。長編の手直しに着手。
 年賀状印刷の準備として、宛名一覧を印刷した。昨年と一昨年の実績、そして喪中葉書の状況を見て、今年の送付先を決めるのだが、近年は、終活の一環で年賀状をやめるという連絡もある。伝統的に死ぬまでやる習慣だったはずなのに、生前にやめるという意義が分からない。これからは死んだと思ってくれという、絶縁宣言のようではないか。それとも、SNSで情報発信するから、それで確認して、ということか? 高齢者がSNSに移行して年賀状をやめたという話もあまり聞かない気がする。

12月23日(月)「雑務が多過ぎる・・・の風さん」
 昨日は冬至だったので、これから徐々に日が長くなる。うれしい。しかし、来年1月末まで気温は低下し続ける。2月以降も寒い日が続くので、そこまでは忍耐だな。そして、気を付けなければいけないのは、インフルエンザにり患しないこと。恐らく1週間は仕事にならないだろう。恐ろしいことだ。
 現役時代、朝の通勤途上、マイカーを運転しながら、仕事の作戦が頭をめぐった。多くの課題があって、優先順位をつけ、戦略から戦術まで練る。どんな課題も解決は容易ではなかった。だから、常に頭脳はフル活用状態だった。楽しかったとも言える。そして、会社に着くと同時に、新たな問題が次々に発生する。雑用のようなことも多く、たいてい自分で処理しなければならなかった。そんなことをしているうちに、昼になってしまい、あたふたと同僚と食堂へ向かうことになる。重要課題は午後から、なんてことがほぼ毎日だった(笑)。
 退社してもう6年になるのに、日々の行動もだいたい分かっているのに、なぜか現役時代とよく似ている。突発や雑務みたいなことを先に片付けないと、本来の仕事が始められないのだ。ただし残念なのは、現役時代は体力があったから、残業になってでも、バリバリ仕事ができたが、今は、パワー切れになってしまうこと。
 そんな一日を、事細かに書いても仕方ない。少しだけにしよう。今日は、朝食前に、近所の産直ショップへ行き、また当地のみかんを知人へ送った。特に新作がない今は、お礼に送れるのは当地のみかんだ。味は太鼓判が押せる。当地のみかんのルーツは紀州みかんである。

12月24日(火)「クリスマスイブ・・・の風さん」
 クリスマスイブでよく思い出すのは、40年も前の大学院時代だ。普通、大学院生に夏休みとか冬休みはない。サラリーマンと似ていて、それはお盆休みと年末年始休暇程度だった。当時の研究は実験がベースだったので、来る日も来る日も実験によるデータの収集が中心だった。実験のために必要な治具の設計も、たくさんある実験装置の電気的、機械的な接続も得意だった。
 その日の夜も、実験室で実験していた。大きな実験室で、同じ院生が何人もそれぞれ実験していた。やがて、夜が更けて来て、一人いなくなり、二人いなくなり、気が付けば、私一人になっていた。研究室に行くと、技官の女性から「〇〇さん、帰らないの?」とにこやかに聞かれた。「え?」私のとんちんかんな反応に「今夜はクリスマスイブよ」彼女も、家族と過ごすため、早々と帰宅した。
 私の無骨な面の一つだ。長く生きているうちに少しは修正されてきていると思うが、これは私の本質の一つだろう。
 会社員時代、私生活は別として、仕事の上で、そういったやり方は通用しなかった。最初からプロジェクトリーダーとしての行動を求められた。リーダーとしての行動ができるようになればなるほど、自分の本質からかけ離れていくことがつらかった。一方、役割上、そういった無骨な働き方をしている同僚がたくさんいた。技術者の本質のように見えた。彼らを大切にしなければいけないと思った。
 55歳で役職定年になり、マネジメントから解放され、私は一技術者に戻ろうと努力した。自ら実験し、設計し、もちろん図面も書いて、ちょっとした治具や設備を次々に生み出し(現場に定着し)た時の爽快感はたとえようがなかった。
 並行して、50代は5年間、社会人学生生活も経験し、多くの若い人たちと交流できたのも幸せだった。
 今日は、クリスマスイブらしいことは何もなかった。

12月25日(水)「ウォーキング・・・の風さん」
 朝から雲一つない青空。そして、風もほとんどなく、気温も高い。暖冬というより、暮らしやすい気候といいたい。
 ルーチンをこなしてから、軽くランチ(コーヒーとパンとみかん)。トレーニングもどきこともしているが、ダイエットが痩せるためには一番効果的(そりゃそうだろう。摂取カロリーと消費カロリーの差し引きをマイナスにしていけば、不足分として体脂肪が消費されるわけだから)なので、摂取を減らし、消費を増やすように努力しなければならない。
 こんなに天気の好い日は、ウォーキングに行かねば罰が当たる(ワイフは相変わらず外出中)。
 天気は好いが、念のため、完全武装にする。毛糸の帽子をかぶり、毛糸の手袋をはめた。ついでに、スマホとイヤホンをつないで、ジャズを聞きながら歩くことにした。
 スーパーまで往復した。約1時間で、万歩計は5300歩増えた。途中で手袋ははずしたが、汗をかいたので、シャツは着替えた。爽快な気分だ。
 ちび助があまり食欲がなさそうだったので、おやつを上げたり、強制的に食べさせようとしていた。そろそろその準備を始めていたら、気付かない間に食べていたキャットフードを吐いた。そこで猛烈に心配になったのだが、続けて、トイレに入って大きなウンチをした。すっきりしたのか、私が持って来たおやつをなめた。さらに、キッチンまで行き、キャットフードを食べた。一連の動作を見ていて、心配が消え、首を傾げてしまった。吐いた原因は何だったのだろう。
 年賀状の印刷をしている時に、ワイフからメールがあり、人身事故で電車がストップしているという。別ルートで帰ることになり、JRの駅まで迎えに行った。
 帰宅してから、途中だった年賀状の印刷を続けた。

12月26日(木)「WBSの話・・・の風さん」
 歩いて年賀状の投函をしてきた。ここまで5日間かかった。大変な労力をかけたという意味ではない。定年退職後というか現役引退後の知恵で、WBSを実践しているのだ。WBSは自分で学んだ。Work Breakdown Structure のことである。
 現役時代はそういったビジネス効率を上げる手法に懐疑的、批判的だった。自分はアーチストを目指しているのだから、創造的な仕事と効率は無関係だという信念があったからだ。今でもそんな迷信を抱いているが(笑)、創造的な仕事以外は、体力不足の私には、このWBSが役に立つ。一気に集中して片付けられない(そうする必要もない)仕事は、前もってある単位に分解しておいて、やれる時にやっていくのだ。
 毎年やっている年賀状も、WBSを応用した。@送付先候補一覧の印刷 A喪中葉書などを考慮して送付先の決定 B年賀状のデザイン C年賀状の印刷 D年賀状の投函 以上のように分解し、1日に一つずつ実行したわけだ。おかげで、他の仕事が全くできない、ということはなかった。
 今朝は寝坊してみたので、投函から戻ってから、昼食を兼ねた軽い食事を摂った。
 その後、これもWBSの応用だが、来年初めの講演スライドの、イントロ部分だけこしらえた。ここもだいたい標準化していて、その地方にある算額を紹介するのである。
 今日はちび助が元気なので、あまり気にしなくていいのも助かる。
 夕方から、天気予報通りに雨になった。これもWBSと同様に、現役引退後の生活に必須の条件の一つだ。健康のために屋外作業や外出をするためだ。
 長編の改訂作業が延々と続く。

12月27日(金)「年末の風景・・・の風さん」
 家計簿を管理している都合上、今年最後の通帳記入のため、キャメロンで外出した。
 すると、やはり年末最後のウィークデー(明日から年末年始の長期休暇)、クルマがたくさん走っていた。JP、UFJ、JAとハシゴしたが、それぞれ駐車場もいっぱい。
 帰宅し、ルーチンを急いで片付けた。
 ランチはワイフの提案で、お気に入りのピザレストランへ。オーナーの奥さんが、やっと病気から復帰したので、その激励の意味があった。とても元気そうだった。いつものように、美味しいピザを堪能した。
 その後、ホームセンターと精肉店をまわって帰宅した。
 ワイフは昨夜から胃痛があって、急遽、休養状態に。私も、リビングでちび助を見守りながらしばしダウン。
 夕方、よみがえって、長編の執筆を再開した。
 ワイフは、すっかり暗くなってから起き出したが、まだ胃痛が治らないという。
 適当な置き薬がなかったので、行きつけのドラッグストアへ走った。もう走っているクルマは少ない。幸い、残業中の薬剤師がいたので、相談して、薬を選んでもらった。
 すぐ薬を飲ませ、続けて、ちび助に点滴もした。家族全員元気というのはなかなかないな。
 ワイフは薬が効いてきたらしい。私は長編の執筆を続けた。、

12月28日(土)「哲学的狩猟本・・・の風さん」
 何とか胃の痛みを克服したワイフは実家へ出かけた。長女も現地で合流する。
 留守番の私は、家の用事もあるが、外出はしないので、作家業を本格化できるだろう。
 午前中は、 hairdye をしながらルーチンをこなし、そのまま風呂掃除へ。
 家の用事がだいたいできたので、ブランチにした。筋トレのようなことはコンスタントにやっているが、余計なぜい肉を落とすのはダイエットだそうだから、食事の前に体を動かし、食事そのものもカロリーを意識して下げる。
 その後も、家の用事をしながら、だんだん作家業に移って行った。
 大きな用事がないと、本当に楽だ。気になる雑務も少しずつ片付けてきたので、集中力を阻害するものはない。ちび助もまあまあ安定している。
 武重謙さんの『山のクジラを獲りたくて』を読了した。今年30冊目の読了で、とにかく素晴らしい本だった。単独忍び猟というやや特殊な狩猟のノンフィクションで、哲学的な思索がふんだんに盛り込まれているため、単なるノウハウ本ではないし、ドキュメンタリーでもない。狩猟という行為をしながら、自らの内面を探っている様子が実にリアルである。事実を真正面から見つめる姿勢には、技術者としての素養があふれている。好感の持てる本だ。
 今日も長編の書き直しを続けているが、欠点が多く、根気よくリファインしていった。

12月29日(日)「年末風景・・・の風さん」
 今年最後のちび助の病院。日曜日なので、予約は午前中。体重は、前回より少し増えていたが、期待はずれ。現在中4日だが、中8日を提案した。その間に、ちび助を正月太りさせてやる、と内心決心した(私自身はダイエット)。
 ルーチンと雑務はわずかである。その中で、早々とカレンダーを新年用に交換した。
 ついでに、一つだけ特別なことをした。次女の部屋にあった掛け時計の修理だ。ムーブメントが壊れていたので、以前、中国から輸入(いちおう国際便の郵送)したら、針が刺さらなかった。あらためて針とムーブメントのセットをまた中国から輸入したら、今度はムーブメントがスペースにはまらなかった。そこで、前回輸入したムーブメントに今回輸入した針を組み付けてみたら、うまくはまった。ということで、次女の掛け時計が復活した。
 執筆を再開した。昨夜書き上げた部分が気に入らないので、また修正。ここは情緒的な部分で、事務的に書ける場面ではない。ワイフは年越しの準備で外出し、遅く帰宅した。天気が下り坂。
 やっとワイフが年賀状作成に着手。横でサポートする。そうしている間に、次女が一人で帰省してきた。
 深夜のおやつタイムになり、私は先に入浴しておき、再びワイフの年賀状作成のサポート。適当なところで、私は先に就寝した。明日は雨になるらしい。 

12月30日(月)「執筆に重心・・・の風さん」
 今日からちび助のエサやりを朝晩2回に、1回分も5割増しにして、正月太り大作戦を展開する。中8日の成果を出さねばならない。
 午前中はワイフの年賀状作成サポートの続き。何とか印刷まで完了させた。あとはワイフがコメントを書いて投函するだけだ。
 家には帰省してきた次女がいる。ようやく自分の荷物の片付けというか整理に着手した。次女の部屋はちび助の病室になっているので、作業は長女の部屋でやってもらっている。
 パソコンが空いて、ルーチンを終えると、どっと疲れが出てきた。映画を観る気にもなれない。しばらく休養。
 夕方のホットタイムからやっと元気が出た。
 その後は、ひたすら執筆。明日から年越し、正月となるが、意外と執筆の時間は確保できそうだ。頑張らねば。
 特に大きな仕事(執筆以外)をする必要もなく、1日が暮れて行った。こんなことは珍しい。 

12月31日(火)「幸先良いスタート・・・の風さん」
 大晦日だ。生まれてから67回目か。大晦日を意識したのは何歳からだったろう。小学校の高学年くらい? 遅かったと思う。そして、受験戦争の中に入って、いつの間にか大晦日は1年の区切りにならなくなった。紅白歌合戦を見なくなり、行く年来る年を再び見るようになったのは、60歳くらいからだったろうか。
 ルーチン以外の特別なこととしては、年明けの講演の準備をまた少しした。イントロの自己紹介部分を作成した。この後も、ベースになる講演があるので、それを改訂していけばいい。
 武重謙さんの『山のクジラを獲りたくて』を、彼のFBをシェアする形で、私の書評みたいな感想をつけて紹介した。頭の中ではバラバラだったものが、文字と文章にまとめていく中で、きちんとした考えとしてまとまっていった。彼にシェアしたことを伝えたら、早速読んで喜んでくれた。私も嬉しかった。知人にも紹介したい。
 今日も長編の修正に取り組んだ。昨日苦しんでいた部分が、もう少し改善された。毎日取り組めば、何とかなりそうだ。
 スマホゲームのツムツムで、年明け三が日セレボ(セレクトボックス)というのがあり、とても楽しみにしていた。しかし、本当に楽しもうとするとコインが必要で、せっせとためていた。それが目標の数を少し超えるくらいになった。
 今夜も、紅白歌合戦も行く年来る年も見ず(長編の修正をしていたから)、やがてカウントダウンとなり、3人で新年を迎えた。昨年の元旦、最も来年はいないと思われた次女が一緒だったのは全く予想外だった。
 三が日セレボが始まったので、計画通り、初日は、78回ガチャをやり、お目当てのジェダイルーク(確率3.85%)が5回出た。スキルが4を超えた。今年は良い年になりそうだ。


2020年1月はここ

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